「ほっ」と。キャンペーン

ご覧いただきまして、ありがとうございます。


by 1193ru
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

カテゴリ:ヒト( 17 )

加藤哲夫さん

昔、大変お世話になった、
せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫さんがお亡くなりになりました。
何年もお会いしていなかったことが悔やまれます。
ご冥福をお祈りいたします。
[PR]
by 1193ru | 2011-08-26 23:39 | ヒト

私の叔母

食事の準備をして待っていても、母は帰らず。
そんな日が数日続いています。
今週いっぱい続きそうな、そんな予感がしています。

昨年から入退院を続けていた叔母が、昼に亡くなりました。
数日前から、我が身を省みず昼夜通してつきっきりの看病を続けていた母は、今度は実家に泊まる日々が始まりそうです。

叔母との思い出は尽きません。
叔母は、生涯独身でした。
幼少からからだが弱く、祖父は生前いつも叔母の行く末を心配していました。祖父の思いを引き継ぐかのように、母やきょうだいたちは、叔母を気にかけ、何かと養護し続けて来ました。
昨年、母が年老いた叔母を引き取ると言い出した時、母が人一倍叔母を気にかけていたことがわかりました。
そんな母への感謝の気持ちからか、たくさんいる姪や甥の中でも、叔母は私を一番可愛がってくれました。

この一年、叔母は度重なる手術を受け、幾度も危篤状態となりました。
その度に生還したものの、その回数や頻度が高まり、傍目からも衰弱は痛い程わかりました。

今日、私は本当におろかでまぬけで失礼極まりないことを考えました。
「叔母はしあわせだったのだろうか?」と。
しあわせは、その人が決めることだとよくわかっているはずなのに、私が知る叔母の姿からつい考えてしまったのです。
叔母は、幼少の頃の度重なる手術の後遺症からいくつかの障害(のような症状)がありました。それを、中傷されることが度々ありました。
詳しくは書きませんが、私は母の実家で育てられた時期があり、その様子を間近で見たことが何度かあります。
私は、それが辛くて辛くて、苦しくていました。
その光景を、叔母の死を聞いて一番に思い出したのです。

私は今、複雑な気持ちでいます。
叔母は、亡くなった祖父と同じように、私に人権意識や差別への姿勢を強烈に与えた人だったのだと、ようやく今になって気がついたからです。
叔母にもっとお礼が言いたかった。

本当に私は、鈍感で愚かな人間のようです。
[PR]
by 1193ru | 2007-10-08 20:15 | ヒト

ソウルメイト

「ソウルメイト」というと、「運命の人」だとか「前世からの伴侶」という意味で使う方もいるのかもしれないけれど、私は「互いに魂を高めあう大切な仲間」という意味で使うことが多いです。
私のソウルメイトのひとりで、とっても繊細で純粋でとことん優しくて、いつも全力で生きることを楽しんでいる大好きな「はる」が、ブログを始めましたのでご紹介します♪

360°はるの花道

現在、はるは、愛犬チョビの介護中。
チョビとはる、そしてはるの家族の健闘ぶりを、ぜひご覧ください。
[PR]
by 1193ru | 2007-08-14 22:04 | ヒト

今晩のしあわせ者

魂が飛び出てしまったかのような脱力状態。
なされるがままに身を任せ、ぼーっと、どこまでもぼーっとしてしまったのだ。
今晩は、にじいろ屋の京子さんに整体をしてもらった。

いやいや、ホントまいった。
京子さんに整体をしてもらったのは初めてだったけど、京子さんに触れられると、からだ中の鈍化した感覚が次々と息を吹き返していくのが、よっくわかる。
赤ちゃんが産まれる時のあのおっきな産声のごとく、ツボを押される度にギャーギャーと悲鳴やら笑い声を上げていくうちに、どんどん、どんどん、「からだ」が「私のからだ」になっていく。

京子さん曰く、私の足は長年のからだの不具合から、右が3cm短かったそうだ。
「右足短足」だったそうな。
言われてみれば、パンツ丈がいつもおかしかった。同じように作ってもらっているのに、いつも右が若干たごまっていたっけ。
その「右足短足」をものの数分で直してくれた。
立ち上がり歩いてみたら、大袈裟に言えばいつもと反対側に傾いたような感覚があった。縮んでいたものが伸びたせいのようだ。

沖縄だか石垣の方言で、魂のことを「まぶい」と言うそうだけど、京子さんの整体をうけたら「まぶい」がからだから飛び出しちゃったみたいな脱力感や雲の上を無重力でフワフワと揺らいでいるような非現実感が、じわ〜んとやってきた。
あちこちで整体体験をしている私だけど、いやいやこんな体験は初めて。
ぼ〜んやりした頭で、早々に次の予約を入れてしまった!

京子さん、ホント、あなたはすごい方だぁ。
某団体を立ち上げ牽引していた時もそう。私はう〜んと遠くから見ていたけれど、ホントあの時の京子さんもすごかった。
京子さんの底知れないパワーが、今度は「整体」という形になって静かに力強く、そうだな、例えるなら昏々とわき上がる温泉のように溢れ出てきた感じがする。

整体が終わっておいしいローズヒップティーをいただいていたら、これまた凄く尊敬しているW先輩からお呼びがかかった。
京子さんといい、W先輩といい。
今夜は、最高にゴージャスな方々と会えて、ホント、私はしあわせ者だ。

W先輩ったら、会って何を話すのかと思えば「私の今後について」。
W先輩は、昨晩、これまた私がすっごく尊敬している隣県のH先輩とお会いしたとのことで、H先輩からのメッセージも話してくれた。
ありがた過ぎるお話で、参っちゃった。

いやだなぁ、ホント。
私ったら、すっごいしあわせ者だわ。
こんなに尊敬する方々に囲まれ、尚かつ貴重なアドバイスをもらえてるのに、これでぼんやりと生きていたら罰が当たっちゃう。

人生はいつも選択がつきもののようだ。
今晩は、しあわせ過ぎて選択肢が見えなかったり、選べなかったりするけれど、まぁ、そんな夜があってもいいよね。
今晩は、しあわせを享受したいと思う。
[PR]
by 1193ru | 2007-07-28 00:11 | ヒト

本日2回目のUP

ご無沙汰したかと思えば、復活した途端1日2回もUPして、ホント私って極端。
今、仕事やら活動やらのメールをやりとりをしていたら、あるメールが飛び込んできました。
そのメールに書かれた言葉は、激しさや力強さではなく、柳のようなしなやかさで私のぐにゃぐにゃ・ドロドロしたこころに喝を入れてくれました。
こんな風に行けたら、しあわせです。
なんてすてきな方なのでしょうか。
知り合えたことにこころから感謝しちゃいました。

----------------------------

自分のことを後回しにしても人のことで動く
自分のために動くより人のことで動くと
後から自分のことがスムーズに進む
そうすると
ただ楽しいとおもえる
そんな毎日になるものです
なにかできることがあれば動いている
そんな毎日を過ごしています

-----------------------------
[PR]
by 1193ru | 2007-04-22 20:56 | ヒト
大変お世話になった在仙のカメラマン・二川征彦さんの個展が、5月4日からせんだいメディアテークで開催されます。
仙台の街並みや自然をとらえた作品が展示されるのだと思いますが、二川さんはここ何年も仙台の街をいろいろな角度で撮影してきた方です。
以前、聞いたお話の中でも印象的だったのは、街中をカメラを積んだ車を走らせながらシャッターを切り続けるというものでした。
あの頃、二川さんは仙台市内をくまなく走り回っていたのを覚えています。
その作品も展示されるのかはわかりませんが、いただいたDMを拝見すると慣れ親しんだ仙台の街がどれもこれもドラマチック(たぶん、見る人が自然とそれぞれの日常と過去を振り返ってしまう魅力があるのでしょうね)に撮影されていて、ドキドキしました。
私のなかで二川さんは「挑戦者」というイメージが強い方です。
いつもいろいろなことに興味関心を持って、挑戦していく方。
そんな風にいつも感じていました。
そんな二川さんに、いつも刺激を受けてきました。
物事を見つめる眼差し・・・・う〜ん、見極めると言った方がいいでしょうね。
物事を見極める視点が凛とした方で、憧れます。

二川征彦写真展「仙台の緑2006/広瀬川とけやきの道」
日時:2007年5月4日〜9日 午前10時〜19時(最終日は17時まで)
場所:せんだいメディアテーク

-----------------------------
それからもうお一方。
何度かこのブログでもご紹介したことがある、女流画家・標葉千香子さんがアトリエを開設しました。
場所は、仙台から30〜40分のところにある三本木という町です。夏はひまわりで有名なところです。 
標葉さんは、やさしくておだやかで・・・・あ!標葉さんも凛とした方です。
標葉さんは、仏像画や生物画を描かれる画家です。私は、花を描いた作品が好きです。標葉さんの美しくて繊細でそれでいて品があってぴーんと一本通った凛とした性格が、とてもよく作品に現れているようにいつも感じながら拝見しています。

標葉千香子さんのアトリエ遊彩工房「花言葉」は、4月29日(日)から一般オープンだそうです。

住所;大崎市三本木町桑折字多高田15番地 
電話;0229−52−5917
開館時間;午前11時〜午後5時

GWのドライブがてらに、ぜひ足を運んでみていただきたいなと、思います。
[PR]
by 1193ru | 2007-04-22 16:44 | ヒト
シュタイナーの本を読んだのは、多感な10代始めの頃。
小学校から中学校にかけてだったと思うけど、その意味がわかっていたんだかどうだかは自分でも未だによく思い出せない。
いろいろ読んだように思うけど、タイトルが思い出せないから、やっぱりきっとよくわからずにがむしゃら読んでいただけかもしれないな。
10代後半になって、自分の中でまたまたシュタイナーが再ブレークするのだけれど、それはイギリスに行ったせい。
ロンドンの本屋で立ち読みをしていて、なんだかとっても綺麗な本だなぁ〜と手に取ったのがシュタイナーの本で、購入したものの帰国したら、友達が持って行ってしまってそのまま帰らなくなり、で、仕方なく同じ本を国内で探したら紺色の布で装丁された「魂のこよみ」というタイトルで出版されていたものを見つけ、友達が持って行ってしまっても悲しくならないようにと10冊近く購入した。
で、只今手元に残っているのが1冊。
予想通り、戻らない本だった。

で、そのシュタイナーは思想だけではなく、あたかも宮沢賢治のように(宮沢賢治がシュタイナーのように、なのかも)農業にとても関心が高かった。
魂を考え洞察した方だから、食や環境にも自然と目が向いたのだろうと思う。
シュタイナーの提唱したのがバイオダイナミック農法(別名;DEMETER農法)というもので、天体の動きに合わせて農作業を行う完全有機栽培農法なのだ。

さてさて、前置きが長くなってしまったけれど、最近、とても気に入って使っているリップクリームがある。
それははるばるイタリアからやってきた、アグロナチュラ農業組合という有機栽培ハーブ生産組合で作られたもの。
そのアグロナチュラ農業組合は、まさにバイオダイナミック農法でハーブを生産しているそうだ。

たまたま見つけて愛用しているだけだったが、ちょっと調べてみたら、シュタイナーさまに行き着いてしまったというわけ。
先日、那須高原でたまたま出会った保育所といい、シュタイナーの種は私の周りにいろいろな形でたくさんまかれていることに驚いてしまう。

う〜ん、すごい。

というわけで、今晩は久々に「魂のこよみ」を読みながら寝ようと思う。

★おまけ
アグロナチュラ農業組合のブログ、ぜひ覗いてみてください。
なかなか興味深いですよ。
[PR]
by 1193ru | 2006-05-18 01:59 | ヒト

同じ志の人

関東でホームレス支援をしている仲間(私は勝手に「仲間」だと思っている)が、今、とても苦しんでいる。
どうしたわけか、私とその方は形は違えど、とてもよく似た経験をいくつもしている。
そんなせいか、気がつくとよく同じようなことを考えたりしているようだ。

そんな仲間が、今、とても苦しがっている。

生きるのは、本当に大変だ。
自分の人生さえも丁寧に歩くのはなかなか大変なのに、その仲間ときたら他の人の人生にさえも丁寧に寄り添い、一時でも一緒に歩こうとしている。
人一倍不器用な印象を受ける人なのに・・・・・。
そう、たぶん人一倍繊細で不器用なのだろう。
だから、人より敏感に「いのち」に触れてしまうのだろう。
いつもその人は必死だ。
触れてしまった者の責任を全うしようとする。
でも、その人も人間だ。
当たり前に生活がある。
にも関わらずだ、当たり前の生活と活動との間にあるこれまた当たり前のバランスに時として足を捕られ、苦しむ。
そう、とんでもなく人間臭いのだ。
等身大過ぎて、あまりにも等身大過ぎて、だから不器用で、本当に不器用で、みんなの苦しみや悲しみを一手に引き受けてしまっているかのように、私には見えてしまう。

その仲間のブログをほぼ毎日読んでいるのだけれども、最近は泣いてしまう。
苦しみが痛いほどわかるからだ。
関東と東北では場所が全く異なるのに、日々の支援活動の中で悩み苦しんでいること、突き当たっていることが同じだから。だから、どんなに苦しいかと我がことのように感じてしまう。

先月、私たちは「死」に直面した。
私たちは「死」に直面しても、泣くことができなかった。
泣けなかった。
状況が、泣くことを許してはくれなかった。
先日、私はようやく涙が出た。
苦しい涙だった。
でも、その仲間はまだ泣くことができずにいる。
どんなに苦しいだろう、と心配になる。
感情をフリーズした日々が続く弊害は、大きいからだ。

直ぐ近くにいたらな・・・そう思う。
肩をたたいて、ちょっとの間でも路上で会話がなくとも隣りに寄り添えるのにな。

私にはありがたいことに、全国いろいろなところに仲間がいる。
そんな仲間が苦しんでいる時、いつもそうしたくて仕方がない。
そうできない自分が残念だ。がっかりだ。
でもさ、飛んで行けなくとも、気持ちはしっかり寄り添っているのだからと伝えたい。

同じ志の人へ、
とにかく私はあなたのことがとても大切です。
隣りに行けなくてごめんなさい。
でもね、苦しい時は、いつもあなたを思っている私やほかの仲間の存在を思い出してくださいね。
自分で自分を責めているその手を、もうそろそろ違うことに使ってね。
あ、もう既に、使っていたね。
自覚してたかな?
その手で握ったおむすびが、何人の人を温かい気持ちにしたのか、思い出してね。
それから、
ゆっくり、ゆっくり、深呼吸して、そうだね、今晩はゆっくり眠ってくださいね。
ではでは、いい夢を。
[PR]
by 1193ru | 2006-03-09 01:05 | ヒト

なかじょうのぶさん

実は、私は芝居が大好きだ。
学生の頃、野外劇(?)というかアングラ激(?)というか、何と申しましょうか、え〜、そういう芝居をやっている劇団に数年在籍して、大先輩たちに混じって恥ずかしげもなく(きっと若気の至りだったのだ)、芝居に明け暮れたことがありました。

芝居は、観るのも楽しいけれど、やっぱりやるのが一番楽しい。

何でもそうなのだろうけど、本当に芝居はやるのが一番だと、今でもつくづく思っている。
けど、まぁ、諸般の事情というか才能のなさで芝居は観ることに専念。
ここ一年はとても残念なことに、観る機会を逃しっぱなしだけれど、ごくごくフツーの田舎のオバさんにしては結構観ている方だと勝手に自負している。

テントや野外でやっている劇団が、結構好みだったりする。
地元仙台の劇団だと、03年の劇団OCT/PASSの「アンダーグラウンドジャパン」なんて、とっても興奮してしまった。
雨がジャージャー降る中で観たのだけれど、私にとってあの芝居はとにかくジャージャー言う雨がないと完結しない。
テント劇ってそういうものなのだ。
その時の気象状況も演出のひとつ。
それが、たまらなく好きだ。

さて、本日タイトルに勝手にお名前を挙げてしまった「なかじょうのぶ」さんは、私がこれまた大好きな芝居人。
なかじょうさんの作品はいろいろあるけれど、「月見る月日」と「この世の端 天涯の珊瑚」が好きで、県内数カ所の会場へも足を運んだ。

仙台に戻ってきて確か一番最初に観た芝居がなかじょうさんの「月見る月日」。
なかじょうワールドを惜しみなくどこまでも追求した、シンプルで美しい、でもちょっとザラザラしたにぶい光を放つ粗野な舞台美術。
寒い雨の降る薄暗い小屋。
そして、生々しい情の池にどっぷりつかりながらも飄々としたイメージがつきまとう役者・なかじょうのぶ。

こんなわけのわからない文章を書いてしまうのも、割れたガラス片のようにギラギラした芝居の断片が強烈に記憶に突き刺さっていて、それを再確認するにはヒリヒリとした、何でしょうね、そういう感覚が伴ってしまうから。

まぁ、なんといいますか、なかじょうさんの「月見る月日」は、東京ジャズギルドオーケストラの江村さんの真っ暗な駐車場に佇んでいたZ(過去ログをご覧ください)ととてもよく似た雰囲気で、私の感覚が意識するしないに関わらず嫌でもひっかかってしまうタイプのものなのです。
その「月見る月日」が、今月、東京と仙台で上演されるそうです。
ご関心のある方は、ぜひどうぞ。
私個人の勝手な意見ですが、40代以上の男性にぜひご覧いただきたい芝居です。

■■■ なかじょうのぶ独人芝居「月見る月日」(仙台公演) ■■■
日時:2006年3月28日(火)19:00開演
場所:イズミティ21 小ホール
料金:前売り2000円、当日2500円(全席自由)
問い合わせ:劇団小さいお城
       電話 0422−54−8572
       (東京・仙台公演全ての問い合わせ先)
※ちなみに東京公演は、3月21日(火)です。
[PR]
by 1193ru | 2006-03-04 01:37 | ヒト

からっぽの「かなしい」

鏡の前で、両の口角をそれぞれ人差し指で上げて、ちょっと歯を見せる。
鏡の中の自分が笑ってる。
笑えるんだ。
頭も心も体も、みんなみんな大声で泣いているのに。

笑顔だけじゃない。
お茶だって、ごはんだって、食べられてしまうのだ。
人に会えば挨拶もし、たわいもない話をし、
仕事だってしている。

大切な仲間を亡くしたというのに、
私は、
生活している。
変わりなく。

変わりなく・・・いや、ちょっとハイスピードで。
スピードを緩めると、
ほらね、
すぐに涙が出て止まらなくなる。
蛇口をひねったように、
止まらない。
ジャー、ジャーと流れていく。
このまま全部流してくれたらいいのに、
逆に体の中に「かなしい」や「さびしい」がいっぱいたまってくる。

夜が更けて、「一人」が「独り」になる時間が来ると、もう、よくわからなくなる。
「かなしい」も「さびしい」も「くやしい」も次から次ぎへと蘇る記憶とグチャグチャに混じっていく。

今晩は雨だ。
みんなで一緒に訪れた県北の田んぼを想う。
綺麗に刈り取られた稲が、今頃は田んぼに干されているはず。
この雨で乾燥が遅れることだろう。
6月の梅雨の終わり、青々とした田んぼが爽やかだった晴れた日曜日を思い出す。
ほんの数ヶ月前は、あんなに元気だったのに。

何がホントなのか信じられなくなって、葬祭会館へ行ってみた。
ホントがそこにあった。
ホントは、プラスチック製の看板そのままに、冷たく、違和感いっぱいにそこに立っていた。
看板の表も裏も舐めるように眺め回し、それでもやっぱりホントが信じられなくて、
人は信じられないとこうも涙が出るものなのかと、おかしな納得をして帰ってきた。

表皮の下にいっぱいの「かなしい」が増殖していく。
針を刺したら、きっと家中「かなしい」が広がって、外と同じ冷たい涙で家中ぐっしょりと濡れてしまうだろう。

薄墨で香典袋に名前を書きながら、和紙に染みぶちて行く自分の名前が、今の自分の姿そのままでハッとする。

例年になく、秋雨が辛い。
明日は、人差し指がなくとも笑えるのだろうか。

門間
[PR]
by 1193ru | 2005-10-16 00:39 | ヒト