「が」と「も」からはじまって
2008年 07月 05日
今朝は、「が」と「も」の違いで苦しい思いをしています。
今朝、地元紙と一緒に配布されたフリーペーパーに、DVについて書いた私の文章が掲載されているのですが、「が」と「も」の使い方で非常に後悔している部分が一カ所あるのです。
一重に私の最終校正ミスです。とてもうらめしい気持ちでいます。
この文章は、ドラマ「ラスト・フレンズ」にからめてDVのことを書いたものです。
あのドラマはDV加害者が自殺をするという、被害者にとっては非常に辛く大きな暴力が終盤で出て来るため、私はドラマに触れながらDVについて書くことに躊躇しました。
DVや性暴力で、加害者が自殺をするというケースは、少なくありません。暴力被害を受け、その後さらに加害者の自殺・・・・これは想像を絶する暴力が再び被害者を襲うということです。長崎の性暴力事件もそうでした。私は、あの事件には強い思い入れがありましたので、とても激しい感情を持ちましたし、後日、このブログにも書いた通り被害者の方を思うと言葉では表現できない気持ちでいっぱいになりました。
被害者の自殺は、今まさにDVに苦しんでいる方や加害者から離れようとしている方にとっては、一番恐ろしいことのひとつです。「自殺されるかもしれない」という恐怖が、離れることを断念してしまう理由になっているのです。
被害者の中には、日々「お前が逃げたら、遺書にお前の悪行(や名前)を書いて自殺してやるからな!」と脅されている方も大勢いらっしゃいます。
また、そこに子どもがいた場合は、相手が自殺する恐怖はより大きなものになるでしょう。
本音を言えば、ドラマで加害者の自殺は描いて欲しくはありませんでした。
確かに、人気アイドルの錦戸くんのイメージもありますから、最後は悔い改め自分の生い立ちを儚んでの自殺でこれまでの加害行為を多少なりとも「チャラ」もしくは「タイ」にしなくてはならなかったのかもしれないし、ドラマの盛り上がり(山)や最終回に向けてきれいに収まる方向として必要だと制作サイドで思ったのかもしれません。一視聴者としての推測の域では、こんな風に考えることはできますが、でも、やっぱり加害者の自殺は、ドラマの影響力を考えると出して欲しくなかったです。加害者には悔い改めてもらって、加害者本人の意思で加害者更生プログラムへしっかりと旅立って欲しかったです。
あぁ、話を戻しましょう。私の文章のことです。
そうなんです、みなさまご存知の通りドラマ「ラスト・フレンズ」の視聴率の高さ、被害者の方々の多くが見ていらっしゃること、広く社会にDVを提示したということ(依頼主からもこの点でオーダーがかかりました)を考え、やはり触れなくてはならないと思い直し、今回のこの文章を書いた次第です。
なのに、あぁ、本当に情けないミスをしてしまいました。
ミスは、コレです。
この「も」を掲載文では「が」にしてしまっていました(泣)
-------------------------------
加害者は仕事熱心で、好青年の恋人・宗佑のような男性であることも多く、関係が深まる前に見分けるのは至難の業です。
--------------------------------
加害者は、年齢、国籍、職業、年収、社会的地位、生まれや育ちに関わらず存在します。よく言われるDV家庭で育ったからDVをする人になるかと言えば、そうとは一概に言えません。DVをしない方がたくさんいらっしゃいます。それから、DVは、低所得家庭で起きやすいと思われている方もいるようですが、そうとは限りません。高所得者層にもたくさんDV加害者がいます。
被害者もそうです。年齢、国籍、職業、年収、社会的地位、生まれや育ちに関わらず、被害を受けている方がいます。
そうなんです。
何かで「この人は加害者だ!」と見分けることができないからこそ、いつだれが被害者になってもおかしくないのがDVなんだと思うのです。
だからこそ、DVは非常に身近で深刻な問題なのです。
ゆえに、「暴力は絶対ダメ!いじめもDVも性暴力も絶対ダメ!」だと、義務教育の期間に徹底して知ってもらい・身につけてもらいたいと思うのです(お願いしますよー、本当にお願いしますよー、教育委員会さん、教育関係のみなさま)。
全ての方にこれを頭だけではなく心身で理解してもらうには、義務教育期間というのは、大きなチャンスであり、もうここしかないんじゃないかと痛感するのです。
先日、曹洞宗のお坊さまが100名くらいお集まりになる研修会でお話をさせていただいた時、あるお坊さまが「加害者や被害者をこれ以上増やさないためには、私たちは何ができるのでしょうか?」と質問をくださいました。
私は、「教育だと思います」と応えました。
もちろん、ほかにもいろいろなアプローチがあることはわかっていてもです。
家庭で、地域で、学校で、社会全体で、「暴力は絶対ダメ!」という教育を根気強く延々と続けていかないとならないと強く思うのです。
もし家庭で暴力があったら、そこでは暴力防止の教育が絶たれてしまうでしょう。でも、地域や学校で教育の機会があれば、DV家庭で生きる子どもたちの選択肢は増えるでしょうし、その家庭内の被害者の方の救済にも繋がるだろうと思うのです。
これからも原稿依頼があれば、下手でも書き続けます。今後は、今まで以上により慎重により丁寧に書こうと決めました。
講演依頼を受けるだけではなく、もっと積極的に学校へ入って行かなくてはとも思っています。
学校だけではなく、塾や習い事(野球やサッカーのチームやピアノやバレエのお教室等)、子ども会、そういうところでもいじめやデートDVの教育ができるし必要だと思います。
アウエアでデートDVファシリテーターの認定を取っていながら、今までそれを前面に押し出して、講演や講義をすることはほとんどありませんでした。
そう、自分のできることは、もっともっとあるということです。
先日、大先輩と話した時「私の後ろにはたくさんの当事者の人たちがいるからね、それが外に出た時(講演等の時)力になって出るんだ」とおっしゃっていました。
本当にそうだと思いました。
私は、講演で壇上に上がる前、いつも当事者の方々の顔を出来る限りたくさん思い出します。「思い出す」というか、自然と浮かぶのです。同時に、ひとりひとりが話してくれた言葉が、矢継ぎ早に頭を駆け巡ります。
当事者の方々に背中を押されて、壇上に立たさせてもらっている気持ちがします。
できること、本当はいっぱいあるのです。
支援者としてそれをしないことを恥じながらできることからやって行こうと気持ちを引き締めています。
ドラマ「ラスト・フレンズ」については、レジリエンスもHPで触れていますので、ぜひご覧ください。
今朝、地元紙と一緒に配布されたフリーペーパーに、DVについて書いた私の文章が掲載されているのですが、「が」と「も」の使い方で非常に後悔している部分が一カ所あるのです。
一重に私の最終校正ミスです。とてもうらめしい気持ちでいます。
この文章は、ドラマ「ラスト・フレンズ」にからめてDVのことを書いたものです。
あのドラマはDV加害者が自殺をするという、被害者にとっては非常に辛く大きな暴力が終盤で出て来るため、私はドラマに触れながらDVについて書くことに躊躇しました。
DVや性暴力で、加害者が自殺をするというケースは、少なくありません。暴力被害を受け、その後さらに加害者の自殺・・・・これは想像を絶する暴力が再び被害者を襲うということです。長崎の性暴力事件もそうでした。私は、あの事件には強い思い入れがありましたので、とても激しい感情を持ちましたし、後日、このブログにも書いた通り被害者の方を思うと言葉では表現できない気持ちでいっぱいになりました。
被害者の自殺は、今まさにDVに苦しんでいる方や加害者から離れようとしている方にとっては、一番恐ろしいことのひとつです。「自殺されるかもしれない」という恐怖が、離れることを断念してしまう理由になっているのです。
被害者の中には、日々「お前が逃げたら、遺書にお前の悪行(や名前)を書いて自殺してやるからな!」と脅されている方も大勢いらっしゃいます。
また、そこに子どもがいた場合は、相手が自殺する恐怖はより大きなものになるでしょう。
本音を言えば、ドラマで加害者の自殺は描いて欲しくはありませんでした。
確かに、人気アイドルの錦戸くんのイメージもありますから、最後は悔い改め自分の生い立ちを儚んでの自殺でこれまでの加害行為を多少なりとも「チャラ」もしくは「タイ」にしなくてはならなかったのかもしれないし、ドラマの盛り上がり(山)や最終回に向けてきれいに収まる方向として必要だと制作サイドで思ったのかもしれません。一視聴者としての推測の域では、こんな風に考えることはできますが、でも、やっぱり加害者の自殺は、ドラマの影響力を考えると出して欲しくなかったです。加害者には悔い改めてもらって、加害者本人の意思で加害者更生プログラムへしっかりと旅立って欲しかったです。
あぁ、話を戻しましょう。私の文章のことです。
そうなんです、みなさまご存知の通りドラマ「ラスト・フレンズ」の視聴率の高さ、被害者の方々の多くが見ていらっしゃること、広く社会にDVを提示したということ(依頼主からもこの点でオーダーがかかりました)を考え、やはり触れなくてはならないと思い直し、今回のこの文章を書いた次第です。
なのに、あぁ、本当に情けないミスをしてしまいました。
ミスは、コレです。
この「も」を掲載文では「が」にしてしまっていました(泣)
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加害者は仕事熱心で、好青年の恋人・宗佑のような男性であることも多く、関係が深まる前に見分けるのは至難の業です。
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加害者は、年齢、国籍、職業、年収、社会的地位、生まれや育ちに関わらず存在します。よく言われるDV家庭で育ったからDVをする人になるかと言えば、そうとは一概に言えません。DVをしない方がたくさんいらっしゃいます。それから、DVは、低所得家庭で起きやすいと思われている方もいるようですが、そうとは限りません。高所得者層にもたくさんDV加害者がいます。
被害者もそうです。年齢、国籍、職業、年収、社会的地位、生まれや育ちに関わらず、被害を受けている方がいます。
そうなんです。
何かで「この人は加害者だ!」と見分けることができないからこそ、いつだれが被害者になってもおかしくないのがDVなんだと思うのです。
だからこそ、DVは非常に身近で深刻な問題なのです。
ゆえに、「暴力は絶対ダメ!いじめもDVも性暴力も絶対ダメ!」だと、義務教育の期間に徹底して知ってもらい・身につけてもらいたいと思うのです(お願いしますよー、本当にお願いしますよー、教育委員会さん、教育関係のみなさま)。
全ての方にこれを頭だけではなく心身で理解してもらうには、義務教育期間というのは、大きなチャンスであり、もうここしかないんじゃないかと痛感するのです。
先日、曹洞宗のお坊さまが100名くらいお集まりになる研修会でお話をさせていただいた時、あるお坊さまが「加害者や被害者をこれ以上増やさないためには、私たちは何ができるのでしょうか?」と質問をくださいました。
私は、「教育だと思います」と応えました。
もちろん、ほかにもいろいろなアプローチがあることはわかっていてもです。
家庭で、地域で、学校で、社会全体で、「暴力は絶対ダメ!」という教育を根気強く延々と続けていかないとならないと強く思うのです。
もし家庭で暴力があったら、そこでは暴力防止の教育が絶たれてしまうでしょう。でも、地域や学校で教育の機会があれば、DV家庭で生きる子どもたちの選択肢は増えるでしょうし、その家庭内の被害者の方の救済にも繋がるだろうと思うのです。
これからも原稿依頼があれば、下手でも書き続けます。今後は、今まで以上により慎重により丁寧に書こうと決めました。
講演依頼を受けるだけではなく、もっと積極的に学校へ入って行かなくてはとも思っています。
学校だけではなく、塾や習い事(野球やサッカーのチームやピアノやバレエのお教室等)、子ども会、そういうところでもいじめやデートDVの教育ができるし必要だと思います。
アウエアでデートDVファシリテーターの認定を取っていながら、今までそれを前面に押し出して、講演や講義をすることはほとんどありませんでした。
そう、自分のできることは、もっともっとあるということです。
先日、大先輩と話した時「私の後ろにはたくさんの当事者の人たちがいるからね、それが外に出た時(講演等の時)力になって出るんだ」とおっしゃっていました。
本当にそうだと思いました。
私は、講演で壇上に上がる前、いつも当事者の方々の顔を出来る限りたくさん思い出します。「思い出す」というか、自然と浮かぶのです。同時に、ひとりひとりが話してくれた言葉が、矢継ぎ早に頭を駆け巡ります。
当事者の方々に背中を押されて、壇上に立たさせてもらっている気持ちがします。
できること、本当はいっぱいあるのです。
支援者としてそれをしないことを恥じながらできることからやって行こうと気持ちを引き締めています。
ドラマ「ラスト・フレンズ」については、レジリエンスもHPで触れていますので、ぜひご覧ください。
by 1193ru
| 2008-07-05 11:47
| DV