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by 1193ru
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ジョセフ・コーネルの小箱

ジョゼフ・コーネルは、「箱の芸術家」と言われるように、古い書物の切れ端や小物、凡人の目からはガラクタにしか見えない物を自作の小箱に収めて、小宇宙を創り出した芸術家だ。
アートの関心を持ち始めた中学生くらいの頃から、好きな芸術家だ。

私は、ある経験を境に、音楽も本もアートも服も、そう自分のセンスが表れるような嗜好分野の興味関心が激変してしまった人間だ。
人生には、自分が全くの別人になってしまったかのような経験を多くの人がおおかれ少なかれ体験していると思うけど、その経験をしたことによって、私はそれまでの多くの愛すべき趣味に何の未練もなく踵を返すという極端な選択を一分の躊躇もなくした。
お陰で、行き場をなくしたレコードやCD、書籍、衣類が、もう何年も手つかずのままで書斎の一隅を占拠している。

しかし、そんなことがあってもいくつか好きなものが残っている。
そのひとつが、ジョゼフ・コーネルという芸術家。

先日、神戸に行った時、夜ひとりで繁華街をブラついていたら、本屋があった。
暗い夜道に、白く輝くガラス張りの長方形の本屋は、その存在自体が、すでにコーネルの作品のようだった。
思い返せば、そこからすっかりコーネルのからくりに囚われていたのかもしれない。
1階、2階、3階とフロアを巡り、ある階に辿り着くと、イスラム圏の文学が並んでいた。美しいモスクの写真が表紙になった本を眺め、その流れで次の本棚に目を移せば、中南米圏の文学コーナー。
一番多感な頃に傾倒したセネル・パスの本をなつかしく眺め、さらに右方向に視線を流せば、フランス文学、英米文学・・・・。
昔、おかしな本の読み方に填っていて、「作家」ではなく「訳者」で本を選んでいたことがあった。読み込んだのは、「訳者;柴田元幸」というクレジットがあるものばかり。
東北の小都市の本屋に、女子中高生がいくら通っても限界があったけれども、それでもずいぶん集めて読んだっけ。

本屋の本棚を一人でぼんやりと眺めるのは、なかなか楽しい。
「思い出のアルバム」をそっとのぞき見ている風がある。

井上靖や川端康成、三島由紀夫、太宰治などを読みあさり、茨木のり子に衝撃を受けた小学時代。
ビート文学と澁澤龍彦、大江健三郎を読みあさった中学時代。
シュルレアリスムに傾倒しつつ、村上龍にハマり、中南米の文学を探し回った高校時代。
イギリス文学とフランス文学の新世代作家に夢中になった大学時代。

本屋の本棚を眺めていると、その時々の自分を思い出す。

さて、ジョセフ・コーネル。
そんなコーネルの小箱を思わせる本屋で一冊の本を購入した。
「コーネルの箱」(チャールズ・シミック 訳;柴田元幸 文藝春秋)というのがそれ。
神戸の夜以来、ざわざわとした喧噪から離れることができると、ランダムにページを括るのが最近の日課になっている。

コーネルの「ホテル」が名前に含まれている作品群が、最近はとてもひかれる。
その時々の気持ちのあり具合でひかれるものが変わって行く。
大学時代は、メディチ家の子どもたちをモチーフにした作品群がとても好きだった。
今でも、それらは好きな作品群だが、2007年9月の私は、ホテルシリーズにひかれている。

ホテルシリーズの小箱は、どれも白が基調となっていて、しーんと静まりかえっている。遠くに時折覗く太陽やブルーの海(空)が、ここは家ではなくホテルだと気づかせてはくれるが、胸躍るようなエネルギッシュな旅行ではなく、しーんと静まりかえり動く物は自分の影だけ、というような静けさや魂にふれる何かがそろそろと近づいて来る雰囲気がある。そんな状況は、とても穏やかで質素で控えめだが、それが魂的な心地よさや至福を構成するものだと感じる。
作品集やコーネルに関する書物をのぞき、自分の身をそこに置くことで、とてもやすらげる。

昨晩も、夜中に寂しい夢を見た。
ここ一ヶ月、毎晩のように見ている夢で、夢の中で私は事実を知ることができずに、乏しい情報を元に自分の直感とは異なる方向へ行くことを自身にかすのだが、そうこうしているうちに、胸に痛みが走り・広がり、そして激痛になってその場に崩れる、というものだ。
漫然としない思いで目覚め、夢だと何度も言い聞かせるが「不安」「寂しい」という思いは、消えない。
そして、昨晩もコーネルの作品集を眺めた。

ホテルシリーズには、毎晩見る寂しい夢の続きのような趣がある。
朝方まで作品集を眺めながら、小箱をのぞき込んでいる子どもの自分を想像した。
残念ながら、幸せで生命力が満ちあふれ躍動的になっている時、今までの私はコーネルの作品を振り返らなかった。
人様のこころに寄り添わさせていただくことが多くなってきたら、なぜかとてもコーネルがなつかしくなった。
私の中の「寂しさ」に寄り添ってくれるのが、コーネルの作品だと無意識にわかっているからだろう。
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by 1193ru | 2007-09-09 11:25 | モロモロ