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by 1193ru
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「死」に対する私のこころ

昨晩、はるのブログをのぞいたら、はるの愛犬・チョビが逝っちゃったと書いてあった。
17日はチョビの12回目の誕生日で、「おめでとうメール」を打とうと思っていた矢先のことだった。
ショックだった。
しばらく呆然として、それからはるにメールをしようと思ったけど、全然言葉が浮かばなくて、情けなくなった。
ボーッとして、少し考えられるようになってから、考えに考えてメールをしたけれど、そんな自分が情けなかった。

友達が親を亡くした時もそうだった。
なんて電話やメールをしたらいいのか、わからなくなってしまった。
しばらく呆然としてしまうのだ。
それから、
悲しみでいっぱいの友達に寄り添いたいと思っている私。
大変な状況の友人を心配している私。
そして、その状況にショックを受けている私。
いろんな私を察知して、その中で伝えたい気持ちがあることに気がつくんだけど、それをどう友達に伝えたらいいのかわからなくなって、言葉が見つからなくて、結局、とても平坦な言葉しか届けることができなってしまう。

「死」は混乱を起こす。

誰にとっても「死」は大きい。

「死」にまつわる経験が、私にもいくつかある。
今からウン十年前、とても大切な人を失った。
その時、何も感じなくなってしまった。
感じることができなくなっちゃったのだ。
こころが動かなくなってしまった。
それに関する言葉なんてもちろんでない。
でも、人との関わりがあるのでその中では淡々と言葉を交わし、行動する私がいた。
こころがどんどん堅く小さくなって、コチコチのおかしな塊になって、しばらくそのままだった。
お葬式やら何やら全部終わって、さらに時間が流れて、日常の諸々を日々経験しながら、段々とこころがやわらかく息を吹き返し、そこでやっと涙が出た。
「悲しいなぁ」と感じ涙がこぼれたのは、半年も経った頃だった。
それから「さびしいなぁ」と思ったら、ダダーッと雪崩のように思い出がよみがえり、大泣きした。

ビッグイシューに関わっていた時、ベンダーさんが亡くなった時もそうだった。
ずーっと気持ちがロックして、ただただ淡々と周囲への対応をしていた。全部終わって、しばらく経って、私の書いた追悼文がビッグイシューや新聞に掲載されて、それから季節が流れて、ようやくベンダーMさんへの気持ちや思い出に向き合うことができた。

「死」に対する私の対応癖なのだろうな。
不器用だけど、こんな風にしか今の私には「死」を受け止められないのだろうと思う。
情けないけど、しかたがないなぁと思うしかないみたいだ。
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by 1193ru | 2007-08-18 08:38 | モロモロ