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by 1193ru
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ゆるい私が思う「希望」

今晩、会議終了後、軽く飲みに出かけた。
20歳代の友人たちと軽く(ホントに軽く)飲んだ。

「門間さんって、なぁ〜んか若い頃散々遊んだってオーラが出てるよねぇ〜」

そうかな、と思いつつ、めずらしく20歳代の頃を振り返ってみた。
う〜ん。
確かに、見たいモノはほとんど見たし、やりたいことも全てやり尽くす勢いでなんでもやっていたな。
それを「散々遊んだ」という言うのなら、確かにそうだ。異論はない。

しかし、その20歳代の友人は、「散々遊んで」いないそう。
よくよく聞いてみると、「楽しい」とか「夢」とかがないようだ。
で、よりよくよく聞いてみると、そこには社会やこの国に対する先行きの不安や絶望や怒りがあるようだった。
30歳代になっても、こんな社会でも、こんな国にいても、けっこう毎日「楽しい」くて「夢」を次々見てしまう自分は、心底阿呆なのかと考えてしまう。

私が育つ過程では、回りの大人も社会も、元気だった・・・・と思う。
意外と楽しそうな大人が多かった。
楽しいに勢いづき過ぎた大人たちが、私にいろんなモノを見せてくれたり、体験させてくれたりした。
そんなワクワクした体験が、「大人って結構楽しいな」とか「大人は面白いことをたくさん子どもに見せるのが役割だ」とかいう思いを漠然と私に植え付けた。

トコトン興味関心を追っかけて、自分含めて周囲をパワフルにハッピーにして行く大人に、子どもの頃の彼らは会えなかったのかもしれない。

確かに、
至る所で酷いことばかり起きている、そんなどうしようもない世の中だ。
どっか抜けてたり、判断力や認識力が低くなくてはそうそうハッピーになどなれそうもない。
私はそういうところのある人間だから、ホント、頭の悪い鈍感な阿呆なんだろう。
でもね・・・・と思う。
そんな世の中だからこそ、大人の自分は「希望」を持ってズンズン歩いて行きたい。
そんな私を見て、子どもが「大人って意外と楽しそうだな」「この世の中って捨てたもんじゃないよな」と思ってくれたら本望だ。
「楽しい」とか「夢」には、「希望」が必要だから。

体いっぱいに「希望」を漲らせて、どこまでも行きたい。
社会が暗くて、どうしようもない状況なら尚更。
世界が悲惨で、なんだかあやしい方向に向かっているなら尚更。

私の大切な20歳代の友人に「希望」が生まれることを祈りつつ、明日もしっかりと歩いて行こうと思った夜だった。

門間
by 1193ru | 2005-10-29 00:40 | モロモロ