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by 1193ru
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個人的な近況など

数日間があいてしまいました。
すみません。
ここ数日間は、支援活動をしている方々と連絡を取り情報をまとめ発信したり、被災者の方の相談対応に入っていました。

各被災地で集団避難が始まり、暮らしていた町を離れなくてはならない方たちが増えてきています。持ちたくても衣類や財産のひとつもなく、ただ身一つでの移動です。
惨状と化した地元を見なくてすむとホッとする方もいれば、
生まれ育った町と離れること、まだ見つからない親戚や友人を思い離れられないことから、
さらに悲しみや苦しみを抱えている人もいます。
誰もが、3.11で生き残った後も、悲しみや苦しみに追いかけられています。
被災地はどこでもそうです。

3.11直後は、交通手段がなかったので宮城野区内の避難所へお米や野菜、首都圏の友人たちから送られたカイロや使い捨て食器を持って炊き出しへ行っていました。
少しの食材をうーんとのばして、避難所の方々と調理をしていました。
10日もすると避難所は人が少なくなり、食材や物資もずいぶん入るようになりました。
でも、これは仙台市内の沿岸部を除く避難所だけのこと。
沿岸部の避難所は、二週間経過でも困難な状況が続いていました。
それでも、もちろん、仙台市沿岸部や亘理や石巻、三陸の避難所の状況よりは恵まれていたのかもしれません。
どこの避難所でも、みなさん「沿岸部より私たちはずっと恵まれているから」と言って、欲しい物や必要な物をなかなか口にすることはしませんでした。
調理をしながら、女性の方々とずいぶん話しました。
どんな状況でも、みなさんうんと踏ん張って、母として妻として嫁として女性として、家族や周囲の方々へ気を配り、目を配りヘトヘトになっていました。
それでも、誰も「疲れた」とはひと前では口にしないのです。
調理の後、肩をもみあったり、お湯をみんなで飲んだりしていろんな話をして、たくさんうーんとたくさん笑いました。
二人だけになると、ポロリと本音が出ました。
声も出さず泣きました。
避難所にはたくさん人がいて、泣くこともできないからです。
私たちは声を出さずに泣く癖がついてしまいました。

仙台市内の避難所へおもちゃを背負って出かけることもあります。
他県から派遣された公務員のみなさんが、子どもたちの相手をしてくれている避難所もありますが、誰もが疲れ切っています。
体はもちろんですが、心が疲れ、ちぎれそうになっても生活再建のために必死に頑張っています。
疲れた大人たちに子どもの相手までは、本当に酷な話です。

今週に入ってから、みなさんの様子に変化が出ています。
甚大な被害を受けていない方々も、
「これまでできていたことができなくなった」
「気持ちはあるのにからだがついていかない」
「3月11日を思い出すと不安で眠れなくなる」
「暗いところが怖くて(震災当時停電の夜が何日か続きました)寝るときも電気をつけていないと不安で不安で」
「過去の辛い出来事まで思い出されて毎日泣いている」…そんな話が多く出てくるようになっています。
これは、一刻も早く心理ケアを一人でも多くの方に提供しなくてはならない状況です。

相談室で相談者を待つジレンマに苦しみを覚えます。
相談室を出て、避難所や被災地で孤立状態にある方々のところへ伺いたいです。
by 1193ru | 2011-04-07 22:48 | 東日本大震災