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by 1193ru
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涙から

私の仕事は人様の話をうかがうこと。
毎日10人前後の方の話に耳を傾け、相手に向き合い寄り添うことが仕事だ。
その中で、あいづちをうったり、話を要約したり、時には情報提供を交えながら、その方が望むなら、ゆっくりと深いところにあるとてもやわらかな部分に光を当てるお手伝いをする。

最近、以前にも増して、人様の涙を多く見るようになった気がする。
ポンと発した言葉というか、何だろうなぁ、言葉なのか言霊なのかわからないけどそれがじわんと涙を呼ぶかのように、目の前の人の頬を涙が伝うのを目にする。
毎日、毎日、何人もの方の涙を見ている。
最近では、人様の涙を見るのが仕事なのでは、と思う程だ。

どの涙もとても澄んでいて、きれいだ。

何か過去の傷ついた出来事を話すわけではなく、ただ、淡々とした日常的な会話をしているうちに、大きな二つの瞳に涙がトクトクとたまっていくのだ。

その澄んだ涙は、何を物語っているのだろうかと、帰り道つらつらと考える日が続いている。

私のような若輩者に、深々と頭を下げ、ドアノブをつかみ、満身の力を込めるかのように扉を開き、廊下に出て行かれる後ろ姿に、その涙の残像が重なる。

おひとりおひとり多少の差異はあっても、共通点はコレなんじゃないかと尻尾をつかむ。

そうだね、私たちは意外に非常に孤独なんだろうな。
だから、限られた時間でも向き合い、話に耳を傾け、一緒に考えてくれる人やそんな空間に会うと、グッときちゃうんじゃなかろうか。
向き合い、話に耳を傾けてもらうその行為は、ずばり尊重されているわけで、否定されず肯定的に受け止められるということは、優しさをかけてもらうことと非常に近いものなんだろうとも思う。

身近な人間関係で、コレらがなされていれば、大半の生活や人生の中で孤独を噛みしめ不安や寂しさを募らせることは少ないかもしれない。
それを「幸せ」のひとつともカウントできるだろうな。

でもだ。
大半の人たちは、私を含め身近な人間関係でいつもコレらが供給され続けているわけではない。
大人になり、年を経るごとに、どんどん供給と供給の間が開き、非常に孤独を感じやすい「私」や「あなた」となってゆく。

そんな「私」は、孤独に敏感で、優しくされる・尊重されるという出来事に非常に疎くなって、さびしく感覚麻痺を自らに強いた人間。
そう、優しさや尊重されることに餓えた人間なのだ。

あまりにも辛い経験ばかりを重ね織り込んだ人生をやっていると、時たま、もうそろそろ終わりにしたいなと思ってしまう。
そんな気持ちをくすぶらせていると、あの美しい涙にやられてしまう。
木端微塵に。
中途半端なくだらない考えを粉砕される。どこまでも。

優しさにふれ、尊重されたという記憶は、結晶として「涙」の形を借りてやってくる。
その涙自体が、もしや「幸せ」なのかもしれないと、ふと思い、ふと行きつく。

明日は面接相談はない。
その代わりと言っちゃぁなんだけど、外は雨。
あの涙のような凛とした雨が降り続く。
まっすぐに、まっすぐに。どこまでもまっすぐに降り注ぐ雨。

雨音を聴きながら、ラベンダーに香る寝具に身を沈める。
コレもまた「幸せ」なのだろうな。
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by 1193ru | 2010-10-30 21:24 | モロモロ