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by 1193ru
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反貧困ネット→教師からの暴力

今晩は、反貧困ネットの会議に参加。
仙台は、弁護士さんたちが中心になって活動が広がっている。
今日は、東京事務局から湯浅さんも来仙。
会議のメンバーは総勢30名くらい。
ビッグイシュー時代にお世話になったホームレス支援団体さんもご参加になっていて挨拶してここには書けない話がぽろぽろ出ちゃって苦笑しちゃいました。
ビッグイシューに関わっていたころに受けたハラスメントの数々の話なんですが、すっかり過去の出来事として整理がついていたせいか他人事のように距離を持って聞くことができました。
いやもうすっかりたくましくなっちゃって~。
愛してやまないビッグイシューの活動を手放す程のダメージだったのにね。
我ながら苦笑しちゃいました。
ほかにも懐かしい方をお会いすることができ、遅刻しつつも参加して良かったと思いました。

3月20日に反貧困ネットの全国大会が仙台で開かれます。
会場は、仙台弁護士会館。
託児もつきます。
興味深い分科会もいろいろあります。
ぜひ皆様ご来場ください。
貧困は他人事ではありません。
今この時代に生きるすべての人たちの深刻な問題です。
そして、子どもたちの未来を大きく左右する大問題でもあります。

貧困―暴力。
貧困―教育。
貧困―就労。
貧困―etc。

話し合い、力を合わせて変えていかなくてはならないことが山積みです。
いろいろなセーフティネットが作られてきていますが、今の現状にはあまりにも「ささやか」過ぎて正直、当事者から見たら「ありがたい」というよりも「みじめさ」を助長するものが多いようにも感じます。
(抽象的な表現ですみません。もっと具体的に書かないとなりませんね。仕事柄ちょっとぼかしてます)

「貧困とは無縁だ」と思われている方こそ、ぜひ足を運んでみてください。
お子さんをお持ちの方こそ、ぜひ足を運んでみてください。
私たちがもっと自覚的に強い関心を持って日々の生活をしていかなくてはならないことが、よくわかると思います。

さて、話が飛びます。
「教師からの生徒への暴力」について。
生徒たちの言動が荒くいわゆる「問題校」と言われている学校で、生徒が授業中に騒いでいたりした時、先生は生徒の「胸倉をつかんで壁におしつけて恫喝」したり「背中にケリ」を入れたり「こぶしで頭を殴る」って生徒をおとなしくするよう注意することは、OKなのでしょうか。
「先生が暴力を振るう前段階(生徒が騒ぐ)があったのだからしかたがない」
「暴力はよくないことだけど、暴力を振るわれる理由が生徒にあるからどっちもどっち」
「問題校だからしかたがない。先生も気の毒」
いろいろな意見があると思います。

でも、どんな時でも選択肢は暴力だけではないわけで。
先生には他にも選択肢があっただろうに。

見かねた生徒たちが他の先生に話したところ、ほんの数分前までは「暴力はいかなる時でもダメだ!」と授業で話していたにもかかわらず、同僚の名前が出た時点で「そこにいなかったからよく話を聞かないと判断がつかないな」と言葉を濁したとのこと。
その言葉を聞いて殴られた子は、背中と頭が痛いと保健室へ閉じこもってしまったそうだ。
この様子を見て、生徒たちは先の暴力を振るった先生といい、論を矛盾させてても暴力を振るった同僚の先生を擁護する意見を述べた先生といい、「この学校の先生は信用できない」という結論に至ってしまったという。

ちょっと視点を変えて考えて欲しい。

「生徒と先生」ではなく、「通りすがりの赤の他人の2人」だったらどうだろうか。
すれ違いざまに相手にいわゆる「ガンを飛ばした」として、それが気に入らないと殴りかかったら、大騒ぎになり警察を呼ばれるのではないだろうか。
これは、暴力が犯罪であり「暴行」であり「傷害」となるわけで、身体的な暴力があったら警察を呼ばれるのはごくごく当たり前のことだ。
なのにだ。
「生徒と先生」
DVだったら「妻と夫」
虐待だったら「子と親」
知り合い同士、何らかの因果関係にある場合、暴力が容認されたりうやむやになってしまうことがある。

話を戻そう。
「生徒と先生」の場合、生徒の言動を口頭注意で抑えることができなかったからと振るう暴力は犯罪にはならないのだろうか。
「犯罪になる」と考える人は、大げさで被害妄想チックなのだろうか。

毎日いろんな方のいろんな悩みに向き合う。
相談室を一歩出たら、私は支援者ではなく「ただの私」となって、相談をひとつひとつ思い出し検証する。

明日は講座。
いつも胸と頭にはたくさんの「?」がつまっている。
講座の中で、その「?」を言葉にし、ご参加の方へ語りかけながら考え続ける。

「正義」や「正論」は、人の数だけ、いやそれ以上存在する。
だからこそ、それを振りかざして暴力を使ってはいけない。
その先には、継続した関係性はない。
無数に存在する「正義」と「正論」。
ならばそれを言葉にして交わそうじゃないですか。
そこから生まれるものは、計り知れない大きさを伴った未来への財産となるだろう。

それではみなさままた明日☆
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by 1193ru | 2010-02-09 23:08 | DV